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光洋製品開発のあゆみ

ラベリングマシンの歴史は、光洋自動機の歴史

会長 山下 經一
会長山下 經一

1968年1月5日、東京都大田区の工場街の一角に私をふくめ3人で設立したのが光洋自動機です。当時、私は33歳で、ちょうど高度経済成長期のまっただ中、日本が国民総生産で初めて世界第2位になったときでした。その1年前までは洋酒メーカーの工務部に勤め、生産ラインの機械のメンテナンスやオペレーションを担っていました。

そこで生来のモノづくり熱に火がつき、新たな自動機を創造したいと思うようになっていました。会社を退社し、妻子を里にあずけて独立して単身でラベリングマシンの開発に取り組み始めたのがスタートです。ラベリングマシンを選んだのは、ラベルが商品の顔であり、需要が期待できたからです。

当時、日本に簡便な調整で運転できるラベリングマシンが存在しておらず、工場ではまだ多くが人手によるラベル貼りという状況でした。そうした中、色々と試行錯誤しながらの開発でした。「ホッパーラベラー」の中核技術であるホッパーからラベルを取り出すカム・リンク機構を確立し、ようやく完成させたのが1号機です。

それから45年、振り返ればただがむしゃらに突き進んで来たように思います。ラベリングマシンをはじめとする様々な自動機械を発明し、部品作製から組み立てまでを行い、完成品として売り込み、また会社経営と一人何役も担ってきました。

そのため、多くの発明は実地の稼動で明らかになる問題点を解決するため、短期間、ときには一晩でアイデアを生み出し、具体的な装置に作り上げるというものも多かったように思います。それだけに、色々な方々に支えられてここまで来られたことに深く感謝をしています。

この場をかりて、あらためて関係各位の皆さまに心から御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。

拙い内容かとは思いますが、これまで歩んできた歴史と経験を踏まえ、“特許”を中心にラベリングマシン技術の重要な中身を整理したものです。

私のモノづくりへの情熱はいまだ熱く、生涯現役との思いで今も通しております。

まだまだ開発してみたいものもあり、これからも変らぬご指導・ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します。

製品開発のあゆみ

1971年 2月 輸出第1号を台湾へ出荷
1975年 7月 ロールラべリングマシンを開発
1979年 4月 抜きタイプロールラベラーを開発
1982年 3月 600本/分の高速ラベラーを開発
11月 タックラベラー1号機を開発
1984年 4月 感熱ラベラー1号機を開発
1986年 5月 シュリンクラベラー1号機を開発
10月 高速物流管理システム「アイオラス」を開発
10月 天面シール機を開発
12月 カートニングマシン1号機を開発
1987年 6月 ソルベルト溶剤使用機ラベラーを開発
7月 ロール・枚葉兼用型ラベラーを開発
11月 立体式無人高速駐輪機「アイオラスA型」を開発
1989年 3月 800本/分の超高速ラベラーを開発
1991年 5月 感熱ロールラベラー国内実稼動1号機
1992年 9月 エレベータスライド方式立体式無人駐車場「アイオラスZ4」を完成
11月 オートストッカー1号機を開発
1993年 3月 高速感熱ラベラーを開発
5月 ストレッチラベラーを開発
12月 ラベル自動供給ロールラベラーを開発
1995年 3月 リチウム電池CR2ラベル装着装置を開発
1996年 1月 自動納骨壇システムを開発
4月 ストレッチ・シュリンク兼用型ラベラーを開発
1999年 3月 シリンジラベラーを開発
3月 600本/分の高性能ストレッチラベラーを開発
2002年 6月 インライン印刷ラベラーを開発
7月 250本/分のストレート式中速型シュリンクラベラーを開発
2005年 5月 出荷台数3,000台を突破
2008年 8月 横浜価値組企業評価・認定事業の格付け評価にてAAAを取得
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